嬉しいことがあった。
昼休み。
食事を終えて同僚と他愛もない雑談をしていると……
「お久しぶりです!」
そう、少し大きめの声が背後から響いたので驚いた。
振り返ると、確かに「知った顔」がそこにあったのだが、一瞬「ポカン」としてしまった。
その声の主は、東北時代の後輩で私の息子と大して歳も変わらない若者。
私がつい「ポカン」としてしまった理由は、その彼が東北にいた当時、こんなに元気に「挨拶」をする若者ではなかったからだ。
だから「見覚えのある顔」がそこにあるのに、一瞬だれだか認識できず「ポカン」とフリーズしてしまった。
「あれ?どうしたの?東京に出張?」
私の勤務は、去年仙台から東京に変わっていたので、東北(青森)エリアの営業マンだった彼が「ここ(東京)」にいるはずがない。
すると驚きのフレーズが彼の口から。
「本社の〇〇部に異動になりました」
彼は嬉しそうにそう答えた。
「ええ!?よかったな!!」
今度は私が大声を出してしまった。
彼は某超有名私立大学の法学部出身のエリート。
ただ最初の配属先であった「営業」では、「法律」の知識を使う場面なんてあるはずがなく、苦労した。
いや、むしろ彼にとって営業は「最も向いていない仕事」だったといってよく、年々彼の評価は下がりエリアも東北の最北端まで異動させられていた。
私は彼と何度か一緒に仕事をしたことがある。
私は、肝心かなめのプレゼンテーションを行う「プレゼンター」なので、東北各県へ営業のサポートで行くことが多くあった。そこで彼のサポートでプレゼンをしたこともある。
私はその「彼」と一緒に仕事を終えた寒い青森駅に向かう車中でのこと。しとしとと雪が降っていたのを覚えている。その雪の中で、彼の「悩み」を打ち明けられた。
「今の仕事は辛い」
「自分のスキルを発揮できる場所に行きたい」
正直、想像通りの言葉だった。
この時、私はある提案をした。
「上司、先輩、人事部に遠慮しないで、強く異動の希望を出せ」と。
まだまだ日本の企業では、特に若者が直属の上司や先輩の顔色を窺て、異動の希望が出し難い環境がある。
でも私は「わがまま」とも言える強い異動希望を推し通し、異動した経験があった。私ですら苦労して異動したのだ、いわんや若者をおや。
若い彼はよほどのことがないと本社の人事に希望は通らないことを「こんこん」と説明した。
「とにかく図々しくなれ、自分の人生なんだから、上司は君の人生の責任なんてとってくれないぞ!」
この時の彼は、痩せて、覇気もなく……おそらく「潰れる」寸前だったように思う。
そんな彼のイメージが私にはあったので、元気よく「お久しぶりです!」の声を聴いたとき「まさか、これがあの時の彼なのか?」と思ってしまったのだ。
聴けば、彼のスキルを正に発揮できる「法務」の部署にいるという。
「ああ、勇気を出して、がんばって主張したんだな」
そう思った。
彼の最後の必死の主張だから、きっとその想いが会社に通じた。
適材適所で仕事をする。そんな当たり前のことが、出来ていない。転職して、他で花咲けばいい。ただ、それで人生が詰んでしまう若者だって大勢いる。
毎年営業に配属される若い社員に、一定数「営業向きではない」という若者がいる。
会社はやもすると、最初に配属された部署で活躍できないと、即ダメ社員のレッテルを貼ろうとする。特にその若者の直属の上司。そんな若手を育てるが上司の仕事だろう?とも思うが案外そういうことにならない。
だから私はお節介でもそんな若者を見たら「別の部署に希望を出せ」という。それが原因でその若者の上司から快く思われないこともあるが、知ったことか。彼の人生だ。
自分の教育を棚上げして安易に「ダメ社員」にしようとする上司の顔色なんてクソくらえだ。
もともと優秀な人間だ。
必ず彼は会社で力を発揮する。
「この後、役員向けにコンプライアンスの説明をするんです」
と言っていたので、こっそりセミナ―ルームの小窓から中を覗いてみた。
すると役員を前に堂々プレゼンをする彼の姿があった。
寒い雪の日に潰れす寸前だった彼を思うと、この雄姿を見て涙が出そうになった。
「里見さんにあの時、背中を押してもらったおかげです」
彼が「あの時」には決して見せなかった、満面の笑みでそう言ってくれたが、私の一言がどれだけ彼のためになったのかなんか、実際には分からない。
でも私の中でも、小さな相談でも人生を変えるだけのきっかけになることを強く思うエピソードになった。
だから、そんな「小さな縁」を大事に、言葉一つ一つを大切にしたいと改めて思うのだった。
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