「明晰夢」という夢をご存知ですか?
簡単に言うと「夢の中で夢と気付いている夢」のこと。「覚醒夢」とも言われますね。
実は私はこの明晰夢をよく見るタイプの人間です。いや、むしろ見ようと思えばかなりの確率で自主的に見ることができます。
そう言えば、明晰夢をモチーフにした映画もありますね。
この明晰夢という話題は、夢の一形態なので特に神秘体験では全くないんだけど、スピリチャルで好まれる話題ですね。
理由はいくつかあると思います。
私はこの明晰夢をよく見るので、一時期かなり詳しく調べたことがあります。
このジャンルそのものをメジャーにした図書がいくつかあります。
「明晰夢」の教科書といったらこれ。ラバージ博士は明晰夢の代名詞ですね。
これはサイエンスの本ですが、この本のユニークなところは著者のラバージが明晰夢をよく見る人であるということ。明晰夢を見るテクニックを学者が解説しています(笑)「夢日記」をつけることが有効だと言っていますね。これは私も実践したことがありますが、頻度は確実に上がるのは間違いなさそうです。
この本は、相当読まれた本だと思いますが、サイエンスの本であるにもかかわらずこの著者がチベット密教の「夢の修行」をとてもリスペクトして取り扱っているのでどうやってもスピリチャルな人の感性に響いてしまう。
そのチベット密教で「夢の修行」に関して詳しい参考図書は以下の通り。
これは本を読んで真似のできる修行ではないと思いますが、とにかくすごいイメージ力(^^)
次がカルロス・カスタネダですね。この人のスピリチャルに与えた影響は甚大ですからね(『アメリカ合衆国を中心として世界に広がったカウンターカルチャー全般、とりわけスピリチュアリズム、ニューエイジ運動などに影響を与えた』ウィキペディア)。私もカスタネダの図書は「読み物」としては大好きです。
このカスタネダのシリーズにそのものずばり「夢見の技法」という巻が存在します。「夢の中で意識的に手を見る」という訓練はあまりに有名。
さて、このように睡眠科学で扱うような話題とは全く違うスピリチャルなところで明晰夢が語られるのは、今見てきた通り影響力のあった著書が「チベット密教」「カルロス・カスタネダ」であったことが大きいと思っています。
以前の記事で私がもっともリスペクトする心理学者に「アーノルド・ミンデル」という人を紹介しました。この人の著書に「24時間の明晰夢」というタイトルの本があります。ただこれは凄く間違えやすいのですが、ミンデルの使う「明晰夢」という言葉は、「夢の中で夢と気付く夢」という意味で扱っていないので、明晰夢に興味のある人は注意する必要がある本です。
私はミンデルの中でもこの「24時間の明晰夢」が一番繰り返し読む本で、個人的には仏教と相性がいい本だと思っています。
ミンデルが使う「夢(ドリーミング)」という言葉はほぼ「世界(宇宙)」と同義で使っています。つまり「世界の出来事に常に明晰であれ」ということを主張した本です。睡眠中に見る「夢」の話ではありません。特にミンデルが「夢」という言葉を使う場合、どちらかと言うと意識に昇らない、つまり顕在意識だけにフォーカスしていると見逃してしまう無意識シグナルが「夢(ドリーミング)」として明晰になるべきものとして強調しています。
だから前に記事にした「仏さまのレスに気付けるようになろう」という話とばっちりとリンクしてくるわけです。仏教と相性がいいと言ったのはまさにこの部分です。
そう言った意味では、広義では最初に説明した「夢の中でも夢に気づく」という意味での明晰夢は「夢=無意識の顕れ」ということを考えれば、無意識の現れに対して意識的に関与できる明晰夢はミンデルの言う明晰夢にも包含されるとも言えます。
特にチベット密教の夢の修行の図書を読むと、夢というぼんやりした世界で「意識を保つ」ことが可能になれば通常の世界ではより意識を保つことは容易になるということを強調していますから。つまり「24時間の明晰夢(=世界に対して明晰であれという主張)」の入り口としての訓練としては「夢の中で意識を保つ」というのは「あり」なのかもしれません。
私はかつて「夢の中で如何に意識を保ち続けるか」という訓練を相当やった時期がありましたが、多くの場合いつのまにか普通の夢に没入して案外意識を保っていられるのは短時間であることが多いように思います(つまり簡単ではない)。
ということで「私も明晰夢はよく見る」という人は、ただただ「ボー」と見ていないで、その先に続く世界のきっかけとして活用するのもまた面白いかもしれません!?
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