准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

五十肩は神仏の声?

最近、左肩が痛くて上がらない。

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服を着るのも辛いくらい。

所謂五十肩でなんでしょう。

色々調べても決定的な治療法がないようで難儀です。

さて、「痛い」って何でしょう?

むろん「身体」の不調です。それは紛れもない事実。

だけど……

「痛みは宇宙の声だ」

こんな、なんとも「怪しい」ことを言う心理学者がいる。

このブログでは頻出の「アーノルド・ミンデル」だ。

 「宇宙」と言ってしまうとあまりに怪しいので「無意識」と言い換えると幾分受け取りやすいのかもしれない。

 確かに痛みは「身体」の症状だが、その症状の根っこにあるのは「心だ」という発想はさもありなんだ。


 ただ「ミンデル」のやっかいなところがこの「無意識」の解釈が「宇宙大」ということろ。だから怪しさ満点なのだ。

 よくこのブログでは「無意識は神仏の入口」なんて話をすることがある。

 「宇宙大」という表現にこれにやや近いのかもしれない。

 だとするとこう言い換えてもいいだろう。

「痛みは神仏の声だ」

 自分の意識が届かないという意味では「無意識」だろうと、その奥におわす「神仏」だろうと、その判断は人間にはできない、という理屈になる。

 だからそれがどちらかだと議論しても結論はでない。

 だったら?

 「痛み」が無意識の仕業なら、「神仏」にお願いするというのは理にかなっている。それは無意識は神仏に繋がらる窓口である可能性があるから。

 その場合は「痛みとって!」と言葉だけでお願いするだけでなく、その怪しい心理学者(笑)、ミンデルの言うこともちょっと参考にしてみるといいかもしれない。

曰く「痛みという信号を「映像」「音」「ストーリー」等に変換してそれを味わってみよう」

 まあ、こういわれてもよくわからないので具体的に何をするか?

 ちょっと「ワーク」をしてみよう。

 まずは目を閉じてリラックス。

 そして「痛み」の感覚をミンデルの言うようによく味わってみる。

 どんな痛みなのか?その痛みを別の表現で表すとどうなのか?

「疼く」のか「刺すような痛み」なのか「鈍痛」なのか「熱をもっている」のか「誰かに叩かれている」ようなのか?「締め付けられてる」ようなのか?

 例えば私の場合「締め付けられる」ような痛みだとする。

そうしたら次のステップで「締め付ける」という言葉から自由に連想をしてみる。

「締め付ける」……時間の締め付け?仕事の締め付け?責任という締め付け?自由からの締め付け?やりたいことの締め付け?妻からの締め付け?(笑)……etc

 いろんな「締め付け」がイメージできるが、いずれにても「精神的な締め付け」を緩める必要がありそうだ……

というような自分なりの結論を導き出してみる。

 もしかすると痛みの原因が「言語化」されただけで痛みが軽減するかもしれない。

人によっては「ダークな」イメージが出てきて嫌な気分になるかもしれない。確かに無意識の領域は神仏の入り口でもあるが「悪いもの」の入口でもあるから。

精神的にきついと思ったらあまり深入りはしない方がいいかもしれない。万が一、よくないものが原因ならその先は「プロ」に任せるのがいい。

 

 また神仏にお願いするなら上述したように「痛いからなんとかして」という言葉で伝えるだけでなく、さっきの「ワーク」でやった時に感じた「感触」をイメージとして神仏に直接的に渡して「こんな感じの痛みです」とイメージを乗せた方が効果的かもしれない。これは少し密教的なアプローチですね。

 

 たかが五十肩。

 もしかしすると「神仏の声」かもしれないという話でした。

 

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