准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

「嫌よ嫌よも好きのうち」を見抜くダブルシグナルという話

 昔話です。

 私は大学時代、割とヘビーなオカルトマニアでした。当時は「ムー」トワイライトゾーン」「マヤ」などいくつかのオカルト雑誌がありましたが、現在もなお発行を継続しているのは「ムー」だけらしいですね(最近は全くチェックしてないのですが)。

 その「ムー」ブランドを冠した「ムーブックス」というシリーズ単行本がありました(今でもあるのかな?)。そのムーブックスに体外離脱者「ロバート・A・モンロー」の「体外への旅」という翻訳本があるのですが、シリーズの中では結構人気の本だったと記憶しています。

 この著者であるロバート・モンロー(故人)は「体外離脱体験」の代名詞のような人で、その筋では超有名人。超心理学の実験などにも積極的に参加されていて自身の体外離脱を研究するための「モンロー研究所」なる研究施設まで立ち上げた人です。この研究所開発の『ヘミシンク』は最近日本でも耳にするようになりましたね(当時はアメリカの研究所からしか入手できなかった)

 さて、この人の体外離脱が「本物だ」とか「偽物だ」とかの議論をここでするつもりはもちろんありません。個人的にはこの方の本は上記本を含めて三冊あるのですが、読み物としてはとてもエキサイティングで大好きでした(過去形)。

 今日このモンローの話をしたのは上述した「体外への旅」という本に出てくる「超意識」という仮説が非常にユニークで興味深いのでちょっと紹介したいと思ったのです。

 その前に「体外離脱」という用語を少しだけ解説しておきます。体外離脱には「幽体離脱」という類語が存在します。つまり肉体から意識が抜けだしたと思われる体験のことですね。

 ただサイエンス(例えば超心理学)でこのような現象を取り扱うときは「幽体離脱」という言葉は使わずに「体外離脱体験(Out-of-body experience、略称: OBE または OOBE)という言葉を使います。そうする理由がはっきり存在します。ポイントは「幽体離脱」という言葉は「幽体がある」ことが前提となる言葉であること。

 しかしサイエンスで「幽体の存在」を証明しようなんてまあ、難しい話になってきます。だから「幽体離脱」としてしまうと幽体の存在が証明されないと前に進めなってしまいます。だから幽体があるないは問わず、とにかく『体から抜け出すような体験」をひっくるめて「体外離脱」として扱うとしています。

 「本人の主観的体験」に重きを置いた言葉と理解するのがいいと思います。それがなんであろうと本人が「体験した」ということに間違いがないのでそれがなんなのかを研究する、つまり前に進むことができます。

 前置きが長くなりましたが、モンローの本に紹介されているエピソードを紹介します。彼が体外離脱をして知り合いの女性宅に侵入して(覗き趣味だな:笑)その知り合いの女性と会うというエピソードがこの本で紹介されています。結果はモンローは体外離脱中、その女性に自分の存在を気づかせようと目の前でアピールするも気付いてもらませんでした。具体的にはその女性はモンローに気付かずに部屋で娘と談笑を続けていたそうです。

 ただ……ここからがポイントなんですけど、その知り合いの女性は全くモンローに気付かずに娘と話をしているのに、「あたながここに来ていることに気付いてるわよ」というメッセージを娘との会話とは別にモンローに送ってきたというのです。まったく気付いたそぶりはしていないのに。

 そして後日、このことを本人に確認したら、確かにその日、娘と談笑していたが、モンローの存在にはやはり全く気付いていなかったということでした。

 くどい様ですが、この体験が事実かたまたまなのかという議論はここではせずに話を先に進めます。

 モンローがここで言いたかったことは「肉体とは違った次元の意識」でどうやら私たちは「会話」を「知らず知らずに」しているらしいということ。

 そして、このような次元の違う会話のことをモンローは「超意識の会話」と本書では呼んでいました。

 体外離脱自体を信じられない人にとっては「超意識」なんて、超能力アニメに出てきそうなワードなんで違和感ありありだと思いますが(笑)

 ただ、私は後日、ある心理学者の本を読んでいるとこのモンローの「超意識」という仮説と通じる概念を知ることになります。

  その心理学者は、以前にも紹介した私が最もリスペクトする「アーノルド・ミンデル」です。まあ、ミンデルでなくとも無意識を扱う学派は多かれ少なかれ同じような話をしているのですが……

 モンローが説明したような「通常の会話」と「超意識での会話」としてしまうと、上述したようにいかにも「超能力的」になってしまいますが、心理学的にこの説明をすると多くの人にも受け入れられる話になってきます。

 これをミンデルの言葉を使って少し解説を試みようと思います。

 ミンデルは通常の会話のように意識的行うコミュニケーション情報(多くは言葉ですね)のことを「シングルシグナル」と呼びました。これに対して「無意識化で」行われるコミュニケーション手段のことを「ダブルシグナル」と呼びます。

 実際にミンデルの著書で「例」を紹介します。「身体症状に<宇宙の声>を聴く」(日本教文社から引用してみます。あなたがカウンセリングをしているということを想像して読んでみてください。

『女性クライアントがあることについて、「心配である」と語ってるとしよう。それに対してあなたは「心配しないでください」と応えている。しかしながら、あなたは、クライアントが頭をうなだれ、表情を曇らせながら、「落ち込んでいます」と非言語的コミュニケーションによって伝えていることにほとんど気付いていない。ビデオで見直してみれば、その様子に気付くだろうが、彼女と話をしているとき、あなたには見えていないのである。ビデオを見ていると、彼女の非言語的なメッセージに対して、不意に自分の肩がすくんだことをあなたは発見する。まるで、彼女の落ち込んだ表情に対して、「どうしていいかわかりません」と言っているかのようだ。』

 ちょっと分かりにくいと思いますので、補足します。

 このカウンセラーとクライアントの間の会話は「心配です」→「心配しないでください」というとてもシンプルな挨拶しか交わされていません。これが「シングルシグナル」でのコミュニケーションです。

 しかし、この時の簡単な挨拶の場面をビデオで確認すると、この女性は「心配です」という「言葉」以外に「頭をうなだれて、表情を曇らせて」という「私は落ち込んでいるんです」というボディーランゲージ=ダブルシグナルを発していたことが観察できました。

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 もちろんこの女性はその事を意識していません。彼女のこの行動は「無意識的」です。これに対してカウンセラー側も意識下では彼女の「首のうなだれ」や「表情の曇り」に気付いていないのですが、無意識的には彼女のダブルシグナルに気付いてて「その落ち込んでいる」という事に対して「どうしていいかわからない」「私の手におえない」ともとれる動作である「肩がすくむ」というリアクションを無意識にしてしまっているという場面です。

 さあ、どうでしょう?これはあり得そうじゃないですか?

 つまり我々人間は「言葉でのコミュニケーション」だけでなく無意識化で多くの情報交換を行っている可能性があどうやらありそうなんです。

 この例を見ると、モンローのケースでも「体外離脱中だ」という神秘体験を抜きにすれば、気付かないそぶりを見せていても無意識化で「気付いている」なんて場面もあながちありえなくもない話になってきます。

 学生時代に女性に対してめっぽうシャイであった私は(←そうなんですよ?)、このモンローの「超意識」という話に随分励まされたものです!?

 まあ、実際は自分から話しかけないで自分の気持ちが通じる程、甘くはなかったんですがね(笑)……閑話休題

 さて、そろそろまとめに入ると、今回のポイントは自分が思っている以上に無意識化でコミュニケーションをとっている可能性は大いにあるという話です。もし「相談を受ける」場合で、我々ができることとしては相手の「言葉だけ」に注目するんではなく相手の「動き」「仕草」「視線」などにも注目する必要がどうやらありそうです。

 事実こんなことを意識してみると、実際、ある人に「これできる?」と尋ねて「全然大丈夫です!」なんて言いながら相手が「首を横に振っている」なんて場面に何度遭遇したことか……

 あるんですね。こういうことが。

 ということで、「ダブルシグナル」……皆さんも是非意識して見てください。

 

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