私も世代的には「物忘れ」が気になるお年頃です。でも、そんな世代に朗報です。
「忘れっぽい人ほど知性が高い」という論文が結構最近話題になっています。
実は今日、もの凄い「物忘れ」をしていた自分に呆れてしまったので、この論文を見て「自分を慰めているNOW!」だったりします(笑)
その「もの凄い物忘れ」とは、つい先日記事にした「當麻曼荼羅」の件です。この記事で私は確かに書いていました。「當麻曼荼羅」のことを知らなかったと↓
この記事にある通り、かみさんに「たいままんだら」という響きを聞かされた時、私の中では「聞いたことない」と思ったことに嘘はありません。
それなのに……。
今日、今年に入って(つまりつい最近)一度読んだ「ある本」を読み返していたら……なんとこの本でかなりのページを割いて「當麻曼荼羅」が解説してあるではないか!
この本↓
しかもこの本は、かなり面白くて読了感も頗る良かったのだ(お勧めです)
これだけ詳細な解説を読んでいおいて(しかも今年)、しかも大いに満足して……でもすっかり忘れてるって……本読んで勉強してる意味ないではないか(涙目)
では、ここから言い訳タイム……
この本の目次をちょっと紹介します。
序章「聖なるもの」はどのように現れるか
第一章 観音 ---変化する仏---
第二章 不動 ---感得される仏---
第三章 阿弥陀---来迎する仏---
第四章 大日 ---偏在する仏、そして出現する仏---
前回の記事をご覧になっていただくとお分かりの通り「當麻曼荼羅」は『浄土三部経の『観無量寿経』で説かれる内容を忠実に描いている』ので、この本では第四章の「阿弥陀」で詳しく解説されてる訳です。
この本を私が読もうと思ったきっかけは、所謂「表紙買い」というやつで、上の写真を見ていただくとお分かりの通り表紙が「黄不動」です。
「黄不動」と言えば、わが天台寺門宗総本山「三井寺」に伝わる宗祖「円珍」が感得した「秘仏金色不動明王画像」のこと。そりゃ「表紙買い」しますよ!
つまり目次にある第二章「不動」はほぼこの黄不動に関する解説になっています。だから私はこの第二章こそ一番の関心を持って読んでいたのは間違いありません。
さらに。私はそもそも「観音信者」だったこともあるので、第一章「観音」もかなり興味深く夢中になって読みました。
さらにさらに……「密教行者」なら第四章「大日」だって外せない話題です。むろんこの章も集中して読みました。
結局、何が言いたいのかと言うと……
お恥ずかしい話になるのですが、私がまだまだ「第四章 阿弥陀」については正直なところ関心が薄すかったのかなあということ。
冒頭で紹介した論文の一つの趣旨は「忘れっぽい人ほど知性が高い」ですが、もう一つのポイントがあります。それは「必要のない情報はさっさと忘れるように脳が機能する」ということ。
残念ながら今の私は「阿弥陀さま」の章については他の章(観音、不動、大日)に比して関心低く、脳が「忘れる」という選択をしてしまったのだと思います。
まったくお恥ずかしいお話です。
ですが、せっかくですから、ここはポジティブにこう解釈してみます。
今回、かみさんが「當麻曼荼羅が見たい!!」と主張したエピソード。これはきっと私に「もっと阿弥陀さんに関心持って勉強しなさい」というメッセージに違いないと。
そして、このメッセージを送ってくれたのは誰?当然、「観無量寿経変図」なんですから「阿弥陀さま」ご本人です!(と強引に解釈するんです(笑))
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