准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

高幡不動の空を駆け昇る多頭龍の顕現

 京王線高幡不動駅には、最寄りの京王線の駅から10分程度。

 思い立てばいつでも参拝できる立地だ。

 ……ということで早速思い立ったので(笑)行ってみる。

 私が今更このお寺の解説をするまでもないと思いますので、雑多な感想を書いてみます。


 本堂へご挨拶の後は、気持ちの赴くまま足をすべらせる。

 自身の足は五重塔へ向かった。

 天気は頗るよく、だから気持ちがとてもよい。

 そんな気持ちのいい天気だから自然、目は空へ向いた。

「ああ」

思わず感嘆の声が上がる。

同時に、その迫力に鳥肌がたつ。

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 分かるだろうか?何頭もの龍が天に向昇っている。もしかすると多頭の龍かもしれない。

 確かに「龍」には御縁は深いと感じているが……果たしてどちら様だろう?

 関東屈指の不動霊場だから倶利伽羅龍かもしれないし、数が多いので八大龍王かもしれないし……。多頭なら通常七頭あるナーガの雰囲気かもしれないし、だったら九頭龍かもしれない

 さて、「そんな雲の形……見ようによっては何にでも見れるでしょ?」というツッコミ。

 このブログの古くからの(と言うほど古くはないのだが(笑))読者の方なら「みみたこ」だと思うが、割と重要な話だと思うので「この答え」について繰り返しておく。

 上述のツッコミに対する私の答は、『雲の形が「何か(今回の場合は龍)」に「私が」見えたなら「私にとって価値がある」』という表現をします。

 ピンときませんか?(笑)

 これは深層心理学的なアプローチ、具体的にはユング共時性シンクロニシティ―)の話を「方便」として使うのが分かりやすい。

 つまり同じ雲を見ても「龍」と思えない人にとってはその雲に何も意味がない。重きを置くのが「自身の心」です。物理的な~、科学的な~という「客観」とは真逆のベクトルです。

 目の前に数ある視覚刺激の中から「その雲」に目がゆき、その形を数ある「名称」の累計の中から「龍」を選び出したのは、自身の心にある「深い何ものか」の働きがあたから……と考えればその瞬間に自分は心の深い部分にアクセスできている「証」になる、と解釈する。

 決して直接はのぞき見ることはできない「無意識」の領域(そしてそれは仏に通じている可能性が極めて高い領域)。そこには我々仏教徒から見てもとても「価値ある」領域なのだ。

 その「価値ある領域」が今まさに「偶然」を装って「あたな」にアクセスしてきたのだ。

それを「ただの雲だろ?」だって?バカ言っちゃいけない(笑)

 それを「無視」して「ただの雲」としてしまう感性のの持ち主なら無意識は呆れかえって次の「心の深淵にアクセスするチャンス」を与えてくれないかもしれない。

 だから私はこのブログで、無意識からのアンテナを常が上げておけ!感度を上げろ!気づけ!と促す。

 そしてそれは日々「意識するぞ!」と気合いを入れる類のものではなくて、日ごろの神仏と如何に向き合うか……つまり日常に関わってくる。信徒の方なら日ごろの勤行、行者であれば日ごろの修行だ。「日常」の神仏との関りが強い程、どうやら無意識にアクセスはしやすくなる。

 だから上述もした「無意識のその先に神仏がいる」という論拠として私は経験的に感じるところでもある。

 


……

 

 

 ふと思いって来てみた高幡不動。きっと今日の参拝はこの龍との邂逅にこそ意味があったのだろうと思う。

 だからその意味を私はしっかり受け止めないといけない。

 それが「気づき」の後の次のステップ=修行になる。

 日々その繰り返しだ。

 

参考記事

ryona.hatenadiary.jp

 

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