昨日の夕方、前歯の差し歯がポロッと取れた。
その後なんと、奥歯のブリッジがボロリと外れた。
ブリッジは奥歯4本にもまたがる、まさに“橋”のように長いもの。
それが、その時食べていた食材に混ざって「ガリガリ」と音を立てた。
しかも人前で、食材付きのブリッジを取り出す羽目になれば、そりゃもう汚いのなんのって。
その後も奥歯のブリッジは、食事どころか話しているだけでも外れて、
何度も「ガリッ!」と噛んでは、そのたびに口に手を突っ込む繰り返し。
そのたびに、じわっと精神的ダメージが来る。
しかも、ブリッジが外れると、下に残った歯の鋭利な山脈がむき出しになり、
何度も歯茎を噛んでしまう。痛いし、泣けるし、たぶん明日には口内炎必至だ。
極めつけは前歯。
ちょうど人前で笑ったときに取れてしまって、
……まあ、なかなかの顔だったと思う。
ただの歯のない、ひょうきんな坊主だ。
でも、またまた考える。
「ちょっと待てよ。これ、ただのトラブルか?」と。
いや――たぶん違う。
こういう「偶然」にこそ、ちゃんと耳をすませるようにしてると、前回の記事でも書いたとおりだ。
身体ってのは、無言でメッセージを送ってくる。しかも、けっこう「深い」ことを。
ゴールデンウィークのころには、なぜか毎年なにがしかのトラブルに巻き込まれる。
おととしは五十肩の手術。
去年は大腸ファイバーでポリープ8つ切除&39度の熱発。
そして今年は――歯が取れる。
例年の重症度に比べれば軽いほうかもしれないが、これはこれで相当不便で大変だった。
さて、歯が抜けるって、どういうことだろう?
歯ってのは、ただのパーツじゃない。「機能」を考えてみる。
その機能の中心は、固いものを噛み砕く力。
それが抜けるってことは、つまり「噛み砕く力」の損失だ。
また、差し歯とかブリッジってのは、言ってみれば“仮の姿”。
人間ってのは、この“仮”にもしがみつく。
見た目、役割、肩書き――そういうものを必死に守ろうとする。
仏教では使い古された言葉だけど、あえて使ってみる。
「無常」。
壊れるものは、壊れる。
でも壊れるからこそ、新しいものが生まれる。
噛み砕くような力は、もういらない。
仮の姿も、もういらない。
そう思案していると、ひとつの言葉がスルスルと頭に浮かんだ。
「大きく見せる自分はいらない」
またまた心理学者ミンデルに登場してもらおう。
彼の理論では、現実に起こる出来事も“夢”のシグナルと同等に扱う。
「抜けた歯は、今までの“噛みしめてた自分”を手放すサインかもしれない。
その奥に、まだ語られてない“あたらしいお前”がいる」
彼ならこんな風に言いそうだ。
前歯が抜けた間抜けな顔の私。
その間抜けな顔は、まさに“仮面がはがれた顔”に違いない。
そして、その抜けた歯のすき間から風がスーッと通り抜けた。
その風は、笑っていた。
「フフフフ……」
それは、あの女神さまの笑いだったように思えた。
そして同時に、それは――
自分の間抜けさを笑う、そしてこれからは無理に大きく見せる必要もない私自身の安堵の笑い声だったのかもしれない。
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当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
文殊菩薩祈願
「三人寄らば文殊の知恵」というように智慧を象徴する尊格です。学業増進祈祷、無明を断ち切る祈祷などでお力をいただけます。受験用のお守りもお出ししています。
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。祈願を叶えるには先祖供養がしっかりできているのが大前提です。
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
※不動尊華水供を修法致します。
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